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私が知りたかったのはもともとセクシャリティ全般で。 同性愛に特に絞るつもりはありませんし、実際他も進めてはいるんですが、ただ、ここに重点置いたのにはきっかけがありました。 ≪すこたん企画≫のトップにね。 『この国のどこかで若者が、自分がゲイだと気づくとする. 両親にバレたら勘当されるし、級友にはあざ笑われる。 道徳主義者はテレビから説教をたれる. 許される選択は「クローゼットに居続ける」か「自殺」だ.』 て、言葉があったんですよ、引用させてもらいました、かなりあとで気が付いたんですが、これも実はハーヴェイ・ミルクさんの言葉。 差別ってのは、外から仕掛けるものではあるけれど。 別に外からなにもされていなかったとしても、いや、そこまではいかなくても本当に些細なものだったとしても、狭い世界しか持たない時は。 それが絶望に変わることって、誰に限らんとあるように思うんですわ。 たまたまミルクさんは、同性愛者として生まれたけども、別の存在として生まれていても世界のどっかで闘っていたんだろうなぁ、と。 同じような言葉を吐いて、同じような心でもって。 同じように大切に保存されたとは限らないのかもしれませんけども。 で、上で始まった言葉は、希望という単語で締め括られてるんですが。 「もうひとつの青春―同性愛者たち」で読んだ時に、作者の真木嬢がゲイパレードで感じたみたいに。 「愛」て言葉のほうがもう少ししっくりくるような気がします。 いや単語で並んでたら照れるけど...(*ノー゚) カストロ・ストリートそのものは、全ての弱者に微笑もうとしたミルクさんの始めた街であるのに。 同性愛差別の変わりに、男女差別・人種差別が残る地域となってしまっていたという、あまりにも重たい記述が先にあります、ゲイの中でのヒエラルキーがかなり歴然としているらしい。 完全に第三者で、真摯な真木さんの目で見るから余計に辛い。 そしてその後、彼女はゲイパレードに見入ります。 ここでは愛・愛・愛とちゃんとそういう字面が踊りますよ( ´∀`)ノ 正直、読んでてわくわくしました、多分直接見てたとしても感受性の鈍い私には同じだけそれを感じ取れなかったでしょう。 てか、いったん絶望を味わい、彼らの抱える悲しみや問題を共有した後だったからなおさらだったんでしょうか。 あなたたちを愛しているという、無制限の理屈なしのアピール。 そんなような表現が微かに記憶の中に留まっています、また読みたくなってきたな(w 例によって買わなかったので。 いつか直接見に行ってみたいと思ってますよ。 絶望を救えるのは愛だけだってのは、多分陳腐な表現なんでしょうが、個人的には結構信じていたりします( ´∀`)♥ どうせ応援するのなら、私はそういう闘いのほうが好きだし。 /「ゲイ in サンフランシスコ」 |
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